命の垣根を超えて~小学生・はじめての動物保護施設

私がはじめて動物保護施設に行ったのは、小学6年生の時です。


「動物保護施設」というのは、飼えなくなったり、うろうろしている迷子や捨てられた犬・ねこを一定の期間預かって、その後引き取りがなかったり、新しい飼い主が見つからなければ、そこで命が終わるという施設です。

そんな施設に、一人で行ったのですよー。


その時飼っていたうちの犬が、数日帰ってこなくなって、どうも保健所という所にいることもあるらしい・・・と誰かに聞いた、のだったと思います。


私の家は、父が病気になって4年位の介護生活を経て、小学4年の時に他界して、その後、母は朝晩忙しく働いている母子家庭で、いつも時間がなかったのですよ。そういうわけ「保健所にいるかもしれないから行ってみたい」と言ったわたしに、「じゃあ行ってきなさい」と、タクシーを呼んで、一人で行かせたのです。

わたしが親だったら信じられな~~い!そこで子どもがショックを受けたりすることを予測する、とかいう細やかさはないのか!と突っ込みたくなるところです。ですが、うちの母はそういう人なんだから、仕方がないのです。


そこには、結局うちの犬はいませんでした。

コロコロした、小さな茶色い子犬がいて、汚れた体でうずくまってキャンキャン鳴いていました。
思わずとてもかわいそうに思って、そこのおじさんに「この犬、もらえないんですか」と聞いてしまいました。

おじさんも子ども1人で、その収容所にタクシーで犬を探しにきたことも驚いたでしょうね・・・体格がいい子どもでしたが、小学生には違いないですので・・・困った顔をして、「これは、あげられない」と話したのが忘れられません。


タクシーのおじさんは、帰りのために心配して待っていてくれました。こんなところに一人で行かせるなんて、なんちゅー親だと思ったかもしれません。ふつーの感覚ってそうですよねー。私の弱くて強い部分が同居しているワケの根っこがここにありそうです。

小6というのは覚えているので、12歳ころですね。

そして・・・それから18年後、2001年夏の事でした。


再びその施設に見学という名のもとに、今度は「ひとりで犬を探しに来たきた小学生」ではなく、犬や猫たちのいのちについて、一緒に状況を改善していきませんか、と願う市民活動家として、何度も足を運ぶことになったのです。


あの時のことがきっかけとなって、ではありませんでした。ですので、行ってから「そういえば私は一人でここに来たことがある」と思い出して、その運命の不思議さを感じたくらいです。

わたしの「あらゆるいのちの尊厳について、ある時はアクティブに、ある時は黙って静かに考えて行動する」旅の始まりです。同時にわたしは看護学生として、人間のいのちの尊厳の現場にも接する時期になった頃です。


活動を初めて分かったことですが、動物のいのちの尊厳を大切にしたいと願う人々には、看護師やドクターも多いのです。

いのちを大切に思ったり、命のくるしみを何とかしてあげたい、という気持ちは、「命の形態による種別」の垣根を超える。そう信じています。


そしてもう、この時は一人ではありませんでした。


この「ちいさないのちたち」のお話しは、シリーズとして続く予定です。分量によっては、別ページをつくるかもしれません。伝えたいエピソードが本当にたくさんあるのです。


今日の写真は、当時はじめて動物収容施設で、譲り受けたルナ君です。仲間と見学に行った時、いろんな犬の悲しい鳴き声が響く施設で、檻の間から鼻を出して、甘えてきた子ども犬でした。わたしは何度も見学しましたが、決して犬を触りませんでした。

だけどそうして無邪気に甘えてきたので、ふと鼻を撫でました。そうして結局やって来ることになった、わたしにとって特別のメッセージを持ってやってきた犬です。

たくさんの愛と勇気を教えてくれました。もうじき天に帰る時間がきそうなお年と身体になりました。なので、ルナ君が教えてくれた命のことを、伝えていきたい・・・そんな気持ちです(^-^) 

とことで、小学生の時に脱走した犬は、その後片足をけがしながらも、何日か後に帰ってきました。 そしてしばらくして、「お宅の犬が・・・」と段ボールに入った仔犬を何頭か連れてきた大人がいました!去勢手術する、という子孫を持つ予定がない犬と人間のための幸せを、うちの親は知らなかったのですヨ・・・ああ、すみませーん!


やさしい野生時間 ~ Mother Earth レター

書いている人:菊地 幸子 Nurse・保健師・植物系いのちのセラピスト/ 花や自然、食と農をいかしたヘルスケア活動、はなナース準備中。